新選組ゆかりの地
〜京都〜
いよいよ新選組の本拠地、京都。
京都はいつ行ってもいいところですが、目的を持っていくとまた格別です。
この頃の京都旅行の写真は、墓だの石碑だのばかり・・・
壬生 | |
上京してきた近藤勇、芹沢鴨たちが宿にした、八木邸。 その後、新選組の屯所として使われます。 立派なたたずまいです。 新選組ファンなら、まずここだけは押さえておかないと。 |
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八木邸の向かいにある、旧前川邸 ここも新選組の屯所として使われました。 右の出窓は、山南さんと明里が最後の別れを惜しんだという出窓?(たぶんフィクション) |
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壬生寺境内の壬生塚には、近藤勇の胸像が。 芹沢鴨一派の墓などもあります。 |
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光縁寺。右側が、山南敬助の墓。 山南さんの家紋と同じ、立葵の紋だったので、新選組の菩提寺となったとか。 そこに自分が葬られることになるとは、山南さんも皮肉なことです。 100円の参拝料で境内に入ると、新選組関連の本やノートが沢山置いてあって時間の経つのを忘れます。 |
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二条城 | |
将軍をお守りすると言って上洛したのに、結局大政奉還されてしまいました。 |
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京都御所 | |
平安遷都以来、天皇が居住していた京都御所。 蛤御門には、蛤御門の変の時の弾痕らしき跡が残っています。 |
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黒谷 | |
会津藩本陣、金戒光明寺。 会津藩がスポンサーになってくれなかったら、新選組の活躍もありませんでした。 |
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島原 | |
島原の入り口、大門。 男たちには夢の世界だったでしょうが、女たちには地獄でしょうね。 |
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島原に現存する揚屋、角屋。 遊女たちは置屋に起居し、お仕事は揚屋で行いました。 新選組の刀傷なんてものも残っています。 こんなところで暴れちゃダメですよね。 内覧させてもらいましたが、各部屋デザインが異なり、いろいろ趣向が凝らしてありました。 お客同士が鉢合わせしないように、手前の部屋を通らずに奥の部屋に行ける工夫がしてあったり。 でも、防音設備はないので、隣の声は筒抜けだと思います〜 |
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祇園 | |
祇園祭り 宵山 浴衣を着て祇園祭を見に行く、と気合を入れたものの、あまりの人ごみにヘロヘロ。 この中を、斬り込みに行ったとは、何と人騒がせな連中でしょう。 ちなみに、池田屋騒動の跡地には、今は小さな石碑が残るだけ。 繁華街の中で、知らなければ通り過ぎてしまいます。 |
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西本願寺 | |
山南敬助の死後まもなく、西本願寺、太鼓楼に屯所が移されます。 壬生でも人騒がせな連中が、西本願寺で切腹だの何だの、本当に迷惑だったことでしょうね。 |
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高台寺 | |
伊東甲子太郎たち、御陵衛士の屯所となった、高台寺 月真院。 着物で京都と洒落こんでみました。 観光地に行くと、知らぬうちに被写体になっていたりして。 高台寺のすぐ近くに、坂本竜馬や中岡慎太郎たち、勤皇の志士の眠る霊山護国神社と、霊山歴史館があります。 |
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油小路 | |
西本願寺に程近い、油小路。 伊東甲子太郎、そして浪士組結成以来の同士、藤堂平助が同士討ちにあったところです。 石碑には、伊東甲子太郎外数名殉難之跡と書いてあります。 |
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戒光寺 | |
ほとんどの幕末の史跡が、JR京都駅の北側にあるのですが、この戒光寺は洛南にあります。 伊東甲子太郎(中央)、藤堂平助(右)らの墓。 楊貴妃観音の泉湧寺を目指して行くと、途中にあります。 近くには、京焼の窯元、陶あん(漢字変換できない〜)があります。お気に入りなの。 |
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